スメタナ (1824~1884・チェコ) 連作交響詩《我が祖国》

smetana-mono-thumbスメタナの名前は「Bedřich」と書くのだが、これはどう読むのか。「ベドルジハ」というのがカタカナでの一般的な表記であるようだが、実はこの名前、カタカナ表記にするにはかなり無理がある。「r」の上にある逆三角形の記号、これが非常に厄介なのだ。この逆三角形の記号、チェコ語でハーチェクというが、このハーチェクのついた「ř」という文字、クラシック音楽ファンならばどこかで目にしたことがあるかもしれない。

そう、スメタナと同じくチェコの大作曲家、ドヴォルザーク。ドヴォルザークをチェコ語で書き表すと「Dvořák」となる。「ř」の音は巻き舌をしながら摩擦音のノイズを加えるというもので、説明も難しければもちろん実際の発音も非常に難しい。しかし「ř」は、人名はもちろんチェコ語では頻繁に使われる文字であるため、チェコ語を学ぶ外国人にとって避けることの出来ない大きな壁となるのである。この「ř」の発音が難しいのは外国人だけでなく当のチェコ人も同じで、チェコでも「ř」がうまく発音できない子供がおり、そういう子供に対しては特訓が行われるそうである。「ル」と「ジュ」が混ざったような音になるが、むろん、日本語の「ル」や「ジュ」とは本質的に異なる。「ドヴォルザーク」や「ドヴォルジャーク」と書いたり、はたまた「ドヴォジャーク」と書いたりしても、やはり本来のチェコ語の発音からは遠いものとなってしまう。そんな日本人にとって極めて発音が難しい文字を持った民族の物語を音で描いたのが、連作交響詩《我が祖国》である。

スメタナとハプスブルク帝国治下のボヘミア

スメタナが生まれたのはリトミシュという中欧の一地方都市。この街を現在の地図で探すとチェコ共和国で見つかるが、スメタナが生まれた1826年の時点では、この街はハプスブルク家治めるオーストリア帝国にあった。首都はウィーンで、支配者たちはドイツ語を話す帝国。その支配者たちの使うドイツ語ではベーメンと呼ばれたのが、現在のチェコ共和国の西半分に相当する地域である。ベーメンだといささか日本では馴染みが薄いかもしれないが、別の言葉だとボヘミア。日本でもボヘミアという呼び名だと馴染みがあるだろう。(ちなみにチェコ共和国の東半分はモラヴィアと呼ばれていて、このモラヴィアが生んだ大作曲家がヤナーチェクである。)

スメタナが生きた時代のボヘミアは多くがオーストリア帝国の版図にあり、そしてチェコ人は政治的・経済的にも支配される側にあった。しかし、19世紀の中頃からチェコの民族復興運動が巻き起こる。他民族に支配されるのではない、独立したチェコ。チェコ人としての誇り。スメタナが生きた時代は、ちょうどこの民族復興運動のただ中にあった。そしてその流れは政治や経済だけではなく文化・芸術面にも及ぶのだが、スメタナはこの民族復興意識を強く持って芸術活動を展開した芸術家の一人だった。スメタナの代表的オペラ《売られた花嫁》(1866)は、ボヘミアの農村を舞台とし、ボヘミアの知名度を国際的に高める一因ともなる。スメタナはチェコの民族意識に基づく作品を他にも多く手がけているが、そのもっともよく知られた作品が、連作交響詩《我が祖国》である。

交響詩という、リストが創設した新しい形式を使い、スメタナはチェコの歴史と自然、そして人々を描くことを思いつく。最終的に6曲の交響詩として完成し、スメタナはこの一まとまりに《我が祖国》という名前をつけた。この6曲は曲の順序と同じ順番で完成し、最後の《ブラニーク》が完成したのは1879年、この頃のスメタナは既に晩年にあり、また聴力を完全に失っていた。スメタナはさらにこの後、精神障害を起こし、正気を失った状態で1884年にこの世を去る。

交響詩というジャンルと民族的なもの

スメタナはオペラを多く手がけた作曲家で、交響詩はその創作の中心ではなかった。スメタナはその人生の中ごろの一時期にスウェーデンに活動の拠点を移していた時期があるが、その時期にリストに会ったことも影響して、《リチャード三世》(1858)、《ヴァレンシュタインの陣営》(1859)、《ハーコン・ヤルル》(1862)といった交響詩を立て続けに作曲している。これらの題材は特にチェコの民族意識に基づくものではない。そしてこの後、スメタナは交響詩の作曲からは遠ざかる。

晩年を迎えて再び交響詩の作曲に取り組んだスメタナは、その創作にオペラで培った民族意識を注ぎ込む。そして完成した《我が祖国》だが、興味深いことにスメタナ以降の作曲家は自らの民族意識を表現することに交響詩という形式はあまり用いなかったようである。モラヴィアのヤナーチェクしかり、ハンガリーのバルトークしかり。それは20世紀に入った彼らの時代の民族意識が交響詩という形式ではとても表現できなくなったことを示していて、音楽が表現するものは何かということを考察するにおいて非常に興味深い事例となるのだが、それはさておき、《我が祖国》はこの時代を代表する交響詩の一つとなり、また、スメタナを代表する作品の一つともなった。

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