レブエルタス (1899~1940) 《センセマヤ》

メキシコ革命前後のメキシコのクラシック音楽界

revueltas 120x13616世紀初頭のコルテスによるアステカ帝国の征服後、メキシコはスペイン人が支配する土地となったが19世紀になって独立を果たす。キリスト教布教の為に沢山の宣教師達がメキシコに赴いたこともあり、ヨーロッパのクラシック音楽もメキシコで独自の発展を遂げる。だがそこに「メキシコらしさ」というものが現れるには20世紀迄待たねばならなかった。1910年、当時のメキシコを支配していた独裁者ディアスに対しての抗議行動が巻き起こる。メキシコ革命の始まりであった。激しい内戦も行われたが1920年には一応収束し、そして新しい社会と国家の建設に向けて動き出していく。そこで必要とされたのは、メキシコ人としての民族意識であった。

旧支配者層はヨーロッパに憧れ、農民や労働者から収奪した富でもって首都のメキシコシティやパリ、マドリッドでヨーロッパの貴族や資本家さながらの豪勢な暮らしを送っていた。これはもちろん新しいメキシコに相応しいものではなかった。しかし、ではスペインに征服される前の時代にまで遡って理想を求めるのか。それも違う。既にメキシコは征服者たるヨーロッパ人と、被征服者たるインディオ、そして両者の混血であるメスティーソの三者が不可分なほど混ざり合った社会として成立していた。

革命後のメキシコにはこの三者を統合する国家像が求められたのである。当然、文化や芸術も然り。クラシック音楽の伝統は旧植民地時代から脈々と続いていたのだが、明確に「メキシコらしさ」が音楽にも現れてくるようになるのはメキシコ革命の頃からである。

メキシコ革命前後からのクラシック音楽の歴史において、まず名前が挙げられるのがマヌエル・ポンセ(1882-1948)。しかしポンセの作風は基本、19世紀的なヨーロッパのそれであり、そこに異国情緒な風を漂わせるというものであった。ポンセの次に登場するのがカルロス・チャペス(1899-1978)。初めて本格的な「メキシコ音楽」を模索し、作曲家としてのみならず演奏者・教育者としても活躍し、メキシコ音楽界の中心として最も大きな影響を与えたのがチャペスであった。そして3人目の男、シルベストレ・レブエルタス。パイオニアとしてのポンセ、メキシコ音楽を牽引する役割を担ったチャペス。そして、個性豊かな才能として異彩を放ったレブエルタス。そのレブエルタスの代表作として知られるのが《センセマヤ》である。

レブエルタスの生い立ち

レブエルタスはチャペスと同じ1899年に生まれた。生地は北部にあるドゥランゴ州で、父は商人、母は鉱山労働者の娘。一般的な庶民の家庭だったと言って良いだろう。幼い頃から音楽に興味を示し8歳の頃からヴァイオリンを始める。首都メキシコシティにあるメキシコ国立音楽院に入学、作曲とヴァイオリンを学ぶ。その後、二度に渡りアメリカ合衆国に留学し、テキサスなどのオーケストラでコンサートマスターを務めるほどの腕前になる。この頃も作曲活動は行っていたのだが、後年になってこの頃の作品は破棄されてしまい今は殆ど残っていない。しかしレブエルタスの活動ぶりはメキシコにまで届いたようで、1929年、メキシコで既に活躍する存在となっていたチャペスに呼び戻されメキシコ交響楽団の副指揮者となる。また同時に、チャペスが楽長をしていたメキシコ音楽院においてヴァイオリンと作曲を教えるようになる。ここから、本格的なレブエルタスの作曲活動が始まる。

 

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