昨夏、〈復活〉の前に、死の象徴としてのグレゴリオ聖歌「ディエス・イレ=怒りの日」①aのサンプル演奏をした際、意外に気付かれていないのがシューベルトの〈未完成〉(1822年作曲→65年ウィーンで初演)の第1楽章①bだと判明した。サン=サーンスが、この〈3番〉(1880~86年→86年ロンドンで初演)で、それを16分音符・1拍分ずらして①c主題化した際、〈未完成〉を全く意識することなく『偶然、似てしまった』と考えるのは無理があろう。
演奏会プログラムの曲目解説からの抜粋です。
昨夏、〈復活〉の前に、死の象徴としてのグレゴリオ聖歌「ディエス・イレ=怒りの日」①aのサンプル演奏をした際、意外に気付かれていないのがシューベルトの〈未完成〉(1822年作曲→65年ウィーンで初演)の第1楽章①bだと判明した。サン=サーンスが、この〈3番〉(1880~86年→86年ロンドンで初演)で、それを16分音符・1拍分ずらして①c主題化した際、〈未完成〉を全く意識することなく『偶然、似てしまった』と考えるのは無理があろう。
別稿を先にお読み頂きたいが、バレエには台本が拙劣な作品は非常に多い。1931年4月8日にレニングラードで初演されたこの〈ボルト〉も、そうした典型。「バレエ音楽百科」小倉重夫著(音楽之友社)の紹介が簡潔で解り易いので引用させて頂く。
今の時代、この「海賊」を素朴に標題に結びつけて鑑賞しようとするなら、一番近いのは映画「カリブの海賊」ではないだろうか。そうした快男児的な海賊のルーツの一人が、19世紀初期にメキシコ湾で活動した実在の海賊ジャン・ラフィット(仏・1782- 1826年?)。ハイチ革命の最中、フランス人に対する迫害と暴力から逃れるために海賊になったとされる。
名前の通りオルガン付きの交響曲、である。ここでいうオルガンとはパイプオルガンのこと。建物と一体化した極めて大規模な楽器で、ヨーロッパでは教会に備え付けられることが多く、教会音楽で頻繁に使われてきた楽器である。であれば、この《オルガン付き》も教会での演奏が念頭に置かれたものかというと、そうでもない。コンサート・ホールにオルガンが備え付けられるようになる流れの中でこの交響曲は作曲されている。
ショスタコーヴィチにとって《ボルト》は依頼による気の乗らない仕事で書いた作品で、オペラ《ムツェンスク群のマクベス夫人》がこの時期のショスタコーヴィチにとって、一番書きたくて最も力を注いだ作品であることは別稿の通り。ここではこの《マクベス夫人》について、ちょっと述べてみることとしよう。
レニングラード音楽院の卒業制作として作曲した交響曲第1番の大成功によって名を知られる存在となったショスタコーヴィチは、しばらく舞台や映画音楽を中心に活動することとなる。舞台監督や映画監督の要求する音楽を極めて短時間に、しかも高い質で提供することが出来たショスタコーヴィチは、監督達にとって非常に貴重な存在となった。映画音楽はこの後も生涯にわたってショスタコーヴィチが取り組み続けたジャンルとなり、この時期に出会った映画監督のコージンツェフの作品にはショスタコーヴィチは晩年近くになった時期にもタッグを組み、ショスタコーヴィチが音楽を付けたコージンツェフ監督の1971年の作品『リア王』はソ連映画の傑作の一つとして知られている。しかし、残念ながらバレエの分野ではショスタコーヴィチはそのような幸運な出会いを得ることが出来なかった。