ベルリオーズ (1803~1869) 《幻想交響曲》 作品14

 

第1楽章 「夢—情熱」

「夢—情熱」という標題が付けられたこの小節は、長いゆっくりとした序奏で始まる。不安と焦燥を感じさせ、どこか落ち着きの無いその音楽は恋に捕われた芸術家の心情を見事に表現しているようであるが、このメロディは少年期に作曲した歌曲の素材を使用したもの。その後、快活なテンポの主部に入るが、ここで現れるのがイデー・フィクス(固定観念)と作曲家自身によって定義された、芸術家が思いを寄せる女性の姿である。このヴァイオリンとフルートによって奏でられるメロディ①は、この交響曲全体に渡って姿を現し、標題とプログラムに沿った有機的関連を交響曲全体にもたらしている。このイデー・フィクスの主題も《幻想交響曲》オリジナルのものではなく、1828年作曲のカンタータ《エルミニー》で既に使用されたものであった。

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恋の高揚と混乱、そして最後には束の間の恋の休息を得てこの楽章は終わる。

第2楽章 「舞踏会」

3拍子のワルツで楽章全体が進行する。プログラムによれば、舞踏会で芸術家は恋する女性の姿を垣間みるが、すぐにその姿を、ワルツを踊る人々の雑踏の中に見失ってしまう。その様子はワルツの間にイデー・フィクスが挿入されることで表現される(②)。ワルツの華やかな狂乱でこの楽章は幕を閉じる。

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第3楽章 「野の風景」

最初の構想では第2楽章と第3楽章の順序が逆だった。オーボエとイングリッシュ・ホルンの対話でこの楽章は始まる。ベルリオーズによるプログラムでは二人の羊飼いの対話であるという。

ベルリオーズはここでもまた新機軸を見せる。オーボエを舞台上では無く舞台裏で演奏するように指示したのだ。対話するに二者のうち、観客の焦点は舞台上のイングリッシュ・ホルンに集中する。演奏者に実際に距離を設けて音響空間を設計するというこの手法は、オペラではオーケストラピットとは別に舞台上の奏者が演奏する例もあるが、交響曲では前代未聞であった。

この楽章でもまた、イデー・フィクスが挿入的に姿を現す(③)。芸術家を襲う不安。不安は静まり、野の風景は静けさを取り戻し、イングリッシュ・ホルンは再び対話をはじめるが、それに対するオーボエの応えが無い。静かに、しかしまた高まる不安。遠くで雷鳴の音が聞こえる。ここでベルリオーズは、4台のティンパニを一人1台、計4人で叩かせ雷鳴の様子を見事に表現している。これもまた、オペラ的な作曲法であった。

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第4楽章 「断頭台への行進」

プログラムによれば、第3楽章と第4楽章の間で大きな転換が存在している。芸術家は恋に絶望し自殺を図る、死にきれずに見る幻覚の中で芸術家は恋心を抱く女を殺し死刑判決を受ける、というもの。物語は大きく飛躍し、自殺の決意と実行・そして殺害という最もドラマティックな事柄が音の情景から完全に抜け落ちているのだが、ベルリオーズがそれに頓着した様子は無い。標題ではなく音楽が先にあったことの証左ではなかろうか。

この楽章は、犯罪者がギロチンによる処刑場へと追い立てられ、それに観衆が喝采を送るという邪悪な行進曲である。フランス革命の直前に実用化されたギロチンは、絞首台による処刑と違って断末魔に苦しむこと無く瞬時に全てを終わらせ、また首切り役人が斧を振り下ろす処刑に比べて汚れ役を担う人間もいない、ということで極めて合理的で人道的な、フランス革命の理念と人類の進歩にふさわしい処刑道具だとされフランスで急速に広まった処刑法であった。フランス革命は多くの人間が「反革命」とされ公開処刑が行われギロチンにかけられたのだが、人々は革命という「正義」の実現が行われるとして、この公開処刑に喝采を送ったのだった。

ベルリオーズの時代はフランス革命による流血は既に遠いものとなっていたが、ギロチンによる公開処刑はまだ身近であった。刑場へ向かう犯罪人、それに正義が実現されるとして喝采を送る観衆。処刑が一大スペクタクルであった時代の風景である。

ここの音楽も完全な転用で、結局は未完に終わったオペラ《宗教裁判官》からの一場面、「衛兵の行進」をほぼそのまま使用している。処刑の直前になってイデー・フィクスが姿を見せるが(④)、この箇所以降のわずかな部分だけが《幻想交響曲》にあたって追加された部分である。処刑の直前、彼女の姿を思い浮かべるも、ギロチンの刃によって無慈悲に断ち切られるイデー・フィクス、ころがる首、「正義」の実現に大いに沸き立つ大衆。優れた芸術作品は時代の断片を鮮やかに切り取ってみせることがあるが、《幻想交響曲》においてはフランス革命とそれ以降現在にまで続く、「正義」の実現に喝采を送る大衆の姿を鮮烈に描いた第4楽章がそうであろう。しかも、その音楽は当初は別の情景のために作曲されたものであった。結果として、ベルリオーズの天才が、時代を生々しく刻印した音楽となった。

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第5楽章 「サバトの夜の夢」

処刑された芸術家は魔女の響宴に遭遇する。ここで魔女の宴が登場するのは、ベルリオーズがゲーテの『ファウスト』に夢中になったからである。この第5楽章は、『ファウスト』第一部に描かれた魔女の宴を音楽化したものに他ならなかった。

第5楽章が始まってすぐに狂乱は高まりを見せ、イデー・フィクスも姿を見せる(⑤)。芸術家が殺した女性は、魔女となって宴に参加しているのだった。グロテスクに変形されたイデー・フィクスは、変わり果てたその女性の姿を表現している。

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狂乱は一旦静まる。そこに、ベルリオーズと同時代のフランス人にとっては非常になじみのある旋律が姿を現す。それはグレゴリオ聖歌の「怒りの日(ディエス・イレ)」の旋律である(⑥)。カトリック教会で歌われる死者のためのミサ曲の一つで、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の成立は13世紀後半と考えられている。ベルリオーズは魔女の宴に「怒りの日」を登場させることによって、観客に死のイメージを、さらに2本のオフィクレイド(もしくは2本目をセルパンで。セルパンは実際に教会で「怒りの日」が歌われる際に伴奏に使用されることもある楽器だった)という当時の軍楽隊で使われた楽器で演奏させることによって、元のグレゴリオ聖歌のもつ清廉なイメージからかけ離れたグロテスクな響きを生み出し、教会を愚弄する魔女の宴という禍々しいイメージを想起させることに成功している(オフィクレイドもセルパンも過渡的な楽器で、ベルリオーズは新しく開発されたチューバを知った後は、オフィクレイドの代替としてチューバを指定するようになった。今日では古楽器オーケストラの演奏でない限り、ほぼ例外なくチューバで演奏される)。

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また、この「怒りの日」の旋律の登場の前に、鐘の音が響き渡る。鐘はオペラでは使用されることはあっても、器楽作品で使用されることは無い楽器であった。ベルリオーズはここに鐘を登場させ、死と禍々しさを絶妙に演出しているのだが、ベルリオーズはここで低い音の鐘を指定している。現在の演奏では高い音の鐘が使用されるのが専らであるが、それはベルリオーズの指定とは異なっている。ベルリオーズは低い音の鐘が用意できなかった場合、ピアノで代奏すべし、とわざわざ注意書きを入れているのだ。本日の演奏は、演奏効果を考え鐘は使用するが、低い音の響きを得るためにピアノを併せて使用することとした。

曲はこの後、狂乱の盛り上がりを見せ、魔女のロンドと「怒りの日」が同時に演奏される箇所を経て、華々しく終結する。

《幻想交響曲》の標題や大胆な楽器の使用法などは、後世に決定的な影響を与える。しかもその影響はクラシック音楽の枠を超え、そのうねりはロマン主義のエネルギーとして時代を動かしていく。《幻想交響曲》は、紛れも無く一つの時代を形成した芸術作品であった。

(中田麗奈)

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