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R.シュトラウス バレエ〈泡立ちクリーム〉 作品70(台本:R.シュトラウス)

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1922年(58歳)この作品を作曲した当時のR.シュトラウスは、交響詩や楽劇の主要作品で成功をおさめ、ドイツ・オーストリア系作曲界の頂点に立っていたが、当時のヨーロッパは1918年11月に終戦した第1次大戦の荒廃の直後。舞台作品も贖罪など真摯なテーマが求められていたのだがシュトラウスはそれに反発。「時代の悲劇にばかり拘るこうした風潮には我慢ならん。私は人々を喜ばせたいのだ」と言って、お菓子など全く見当たらない時代だったにもかかわらず、人々が以前と変わらない日常生活を送っているかのように、この作品を書き上げたのだった。

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チャイコフスキー バレエ〈くるみ割り人形〉組曲 作品71a

nutcracker costume 200px今回は同じバレエ2曲でも、片方は組曲で、チャイコフスキーを代表する人気作。一方は全曲で、しかも殆ど演奏されない“幻の大作”。そのため〈くるみ割り〉が軽い書き方になってしまったのを、ご了承頂きたい。

3大バレエの中では最後に位置し、交響曲第6番〈悲愴〉の前年にあたる1892年(52歳)に完成・初演されている。帝室マリインスキー劇場からの依頼は、ドイツの作家E.T.A.ホフマンによる童話「くるみ割り人形と二十日ねずみの物語」によるバレエ。これを〈椿姫〉の作者デュマ・フィスがフランス語に翻案脚色し、首席振付師プティパが台本化した。

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レスピーギ 交響的印象〈教会のステンドグラス〉

respighi 128pxレスピーギに教会旋法を使用した曲が多いのは、妻のエルザがグレゴリオ聖歌の研究者だったことが大きい。〈古代舞曲とアリア〉や〈ローマ3部作〉だけではなく、〈グレゴリアン・コンチェルト〉と題したヴァイオリン協奏曲も書いているが、この〈教会のステンドグラス〉も、そうした作品の一つだ。

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ボロディン 歌劇〈イーゴリ公〉より《ダッタン人の踊り》

borodin 120px歌劇〈イーゴリ公〉は、未完のまま残されたが、第Ⅲ・Ⅳ幕をリムスキー=コルサコフとグラズノフが補筆・完成、1890年にペテルブルグで初演された。

キエフが分裂していた12世紀、南方の草原地帯から進入した遊牧民族ポロヴェッツ人(ダッタン人)との戦いを描いた物語。囚われたイーゴリ公は、脱走して再び祖国のために戦う。この曲を今、キーウの人々は、どう受け止めるのだろうか?

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ドヴォルザーク 序曲〈謝肉祭〉

dvorak 120px序曲3部作《自然と人生と愛》1891~92年作曲。1892年4月28日プラハにて作曲者自身の指揮で初演。

ドヴォルザークの作曲家としての最盛期、渡米直前の1891~92年に作曲された序曲3部作「自然と人生と愛」《自然のなかで》《謝肉祭》《オセロ》の中の1曲。1892年4月28日プラハにて作曲者自身の指揮で初演された。ニューヨークでの生活から産まれた〈新世界より〉、チェロ協奏曲と並ぶ傑作として高く評価されている。

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ベートーヴェン 交響曲 第6番〈田園〉作品68

beethoven 120px1808年12月22日、ベートーヴェンの指揮で〈運命〉と同日、ウィーンで初演。

音楽と全く無縁だった私が、初めて惹かれたのがこの〈田園〉。中学1年の春、音楽の授業で〈グランド・キャニオン〉と続けて「感想を言いなさい」ということだった。たぶん標題音楽の比較だったのだろう。私の心にはベートーヴェンが深く残り、夏休み後に引っ越した習志野2中の吹奏楽クラブで、音楽に深入りすることになった。家の周囲は畑や田んぼに囲まれており、レコードで聴いた〈田園〉を口ずさみながら、夕焼けを眺めていたものである。

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シベリウス 交響曲第1番 ホ短調 作品39

sibelius 128px合唱入りの大作〈クレルヴォ〉の後も、標題付きの交響曲を構想していたシベリウスは、1894・97年にヘルシンキで既に演奏されていたチャイコフスキーの〈悲愴〉を知り、滞在中の1898年にベルリンで聴いた〈幻想交響曲〉に強い刺激を受けた。同年4月に新たな交響曲に着手し、翌99年の初めに完成。同年4月26日、ヘルシンキで自身の指揮で初演した。成功だったが、細部を手直しし現行版となった。

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ブルックナー 交響曲第4番〈ロマンティック〉変ホ長調 (第2稿・コーストヴェット版)

bruckner 120px〈4番〉の第1稿はブルックナー50歳の1874年11月22日に完成したが、〈3番〉と同様、初演機会の無いまま78年に大改訂に踏み切る。スケルツォの新稿への入れ替えを含む本格的な改訂は年内に一旦終了したが、Ⅳ楽章も短縮・改訂したため、作業は80年にずれ込んだ。これが「第2稿=1878/80年稿」。81年2月20日、ハンス・リヒター指揮のウィーン・フィルによって初演されたのがこの「第2稿」になる。

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ムソルグスキー 交響詩〈禿山の一夜〉 原典版

musorgskiy 120pxこの曲の成立史は複雑過ぎるので、ムソルグスキーがリムスキー=コルサコフにあてた手紙に書いたとされる以下の4つの場面を挙げておく。

 1. 魔女たちの集合。そのおしゃべりとうわさ話。
 2. サタンの行列
 3. サタンの邪教賛美
 4. 魔女たちの盛大な夜会

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ヒンデミット 交響曲〈画家マティス〉

hindemth 120pxここでのマティスは、ヒンデミットと同時代の画家、フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在だったアンリ・マティス(1869~1954年)ではなく、16世紀に活動したドイツの画家マティアス・グリューネヴァルト(マティス・ゴートハルト・ナイトハルト 1470~1528年)。その代表作『イーゼンハイム祭壇画』に深い感銘を受けたヒンデミットが、グリューネヴァルトの生涯をテーマに台本を執筆してオペラ〈画家マティス〉を作曲、それと並行して交響曲も作曲した。

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マーラー 交響曲第5番の楽曲解説

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マーラーはこの〈5番〉でも、楽章をより巨きなスパンで捉える「部=Abteilung」を、以下のように採用した。

「Ⅰ部」=Ⅰ楽章「葬送行進曲」・Ⅱ楽章 
「Ⅱ部」=Ⅲ楽章 スケルツォ 
「Ⅲ部」=Ⅳ楽章 アダージェット Ⅴ楽章 ロンド・フィナーレ

第1楽章(第Ⅰ部) 嬰ハ短調 2/2 三部形式

トランペットのソロ①に始まるこの楽章は、マーラー自身によって「葬送行進曲」と題されている。〈巨人〉の第3楽章、〈復活〉や〈3番〉の第1楽章よりも「厳格な歩調で」と指定されたぶん、柩を担いで教会に向う荘厳な葬列を連想させる。②のアウフタクトとして使われている付点リズムは、ベートーヴェンやショパンとの繋がりを指摘するまでもなく「葬送」のそれだ。それ以上に瓜二つなのが、メンデルスゾーンのピアノ曲集〈無言歌〉の中の1曲〈葬送〉 Op62-3。以前オーケストレーションし、〈復活〉のプレトークで演奏した際に、詳しく述べたとおりである。

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