作曲されたのは、38歳の1894年だから、初期の大作〈クレルヴォ交響曲〉より3年後、〈カレリア〉組曲の翌年、99年に書かれた交響詩〈フィンランディア〉よりは5年前にあたる。但し〈フィンランディア〉のような愛国的な色合いはなく母国の大自然をおおらかに讃えた賛歌になっている。
曲を特徴づけているのは、主題の“息の長さ”。第1主題は ①a + ①b のように長大で、歌曲や賛美歌として発想した楽想を転用したようにも思える。チェロ+ヴィオラとクラリネットに始まる ①aと、木管をクラからオーボエに替えた ①b から成るが、①b の後半にヴィオラのソロを加えているのが効果的だ。
大戦後の1960~61年に作曲、61年にムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルによって初演。レーニンに捧げる曲として作曲されたため、革命の年〈1917年〉という標題が冠され、各楽章に具体的な標題が付けられている。ショスタコーヴィチの交響曲の中でも、革命を歴史的な史実として描いた点は重要なポイントだ。
合唱入りの大作〈クレルヴォ〉の後も、標題付きの交響曲を構想していたシベリウスは、1894・97年にヘルシンキで既に演奏されていたチャイコフスキーの〈悲愴〉を知り、滞在中の1898年にベルリンで聴いた〈幻想交響曲〉に強い刺激を受けた。同年4月に新たな交響曲に着手し、翌99年の初めに完成。同年4月26日、ヘルシンキで自身の指揮で初演した。成功だったが、細部を手直しし現行版となった。
〈4番〉の第1稿はブルックナー50歳の1874年11月22日に完成したが、〈3番〉と同様、初演機会の無いまま78年に大改訂に踏み切る。スケルツォの新稿への入れ替えを含む本格的な改訂は年内に一旦終了したが、Ⅳ楽章も短縮・改訂したため、作業は80年にずれ込んだ。これが「第2稿=1878/80年稿」。81年2月20日、ハンス・リヒター指揮のウィーン・フィルによって初演されたのがこの「第2稿」になる。
この曲の成立史は複雑過ぎるので、ムソルグスキーがリムスキー=コルサコフにあてた手紙に書いたとされる以下の4つの場面を挙げておく。
20世紀の作曲家は、当然のように新しい技法を開拓しようと競い合っていたが、ソヴィエト国内に留まった作曲家達は、党が「社会主義リアリズム」を掲げて、前衛的な傾向を批判したため、平易で親しみ易い作風に転じざるを得なくなる。
今回は同じバレエ2曲でも、片方は組曲で、チャイコフスキーを代表する人気作。一方は全曲で、しかも殆ど演奏されない“幻の大作”。そのため〈くるみ割り〉が軽い書き方になってしまったのを、ご了承頂きたい。
レスピーギに教会旋法を使用した曲が多いのは、妻のエルザがグレゴリオ聖歌の研究者だったことが大きい。〈古代舞曲とアリア〉や〈ローマ3部作〉だけではなく、〈グレゴリアン・コンチェルト〉と題したヴァイオリン協奏曲も書いているが、この〈教会のステンドグラス〉も、そうした作品の一つだ。
歌劇〈イーゴリ公〉は、未完のまま残されたが、第Ⅲ・Ⅳ幕をリムスキー=コルサコフとグラズノフが補筆・完成、1890年にペテルブルグで初演された。
序曲3部作《自然と人生と愛》1891~92年作曲。1892年4月28日プラハにて作曲者自身の指揮で初演。