バーンスタイン (1918~1990) 〈キャンディード〉序曲

1956年12月、ニューヨーク

バースタインが音楽を担当した《キャンディード》がニューヨークで初演を迎えた。この時のレナード・バーンスタインは、まさに上り調子の勢いに乗りまくっていた時期だった。バーンスタインは赤ん坊の頃から音楽に興味を持ち、少年の頃から既に音楽家を志すようになっていた。聡明なバーンスタインは学業も優秀で、そのため、父親サムと衝突することもあった。しかし、サムはレナードの成長を誰よりも楽しみしていた人間でもあった。バーンスタインは音楽や学業だけでなくスポーツも万能だった。人当たりもよく明るい彼の周りにはいつも大勢の人間がいた。それに加えて、後年の写真に映った姿でも分かるようにバーンスタインは彫りの深いハンサムな顔立ちをしていた。もう、漫画の主人公である。いや、アメリカン・ドリームの体現だった。成長したバーンスタインはコープランドやクーセヴィツキーといった、当時のアメリカ合衆国を代表する作曲家・指揮者に師事し、多くの機会を得て成長していった。そして、アメリカの若きスター、レナード・バーンスタインが誕生する。

バーンスタインは指揮と作曲の両方を手がけていて、どちらにも強い愛着を感じ、そしてどちらも大きな成果と評価を上げていた。バーンスタインはクラシック音楽に軸足を起きつつも、ポピュラー音楽にも強い興味を覚えていた。それはバーンスタインの作曲する音楽に顕著に現れていて、例えば後年の代表作《ミサ》(1891年)は、クラシックにロックやジャズ、ブルースといった多種多様なスタイルの音楽が取り混ぜられたものとなっている。これはもちろんバーンスタイン本人の音楽的趣味・傾向が反映されたものなのだが、当時のアメリカ合衆国の社会の雰囲気を反映したものであるとも言えるだろう。二度の世界大戦を経て、世界の覇権はヨーロッパからアメリカ合衆国に移った。「古い」ヨーロッパを象徴するクラシック音楽と、「新しい」アメリカを象徴するジャズやロック。アメリカが誇るスーパースターであるバーンスタインの音楽にそういった「アメリカ的」な要素が反映されていることは、バーンスタインにとっても自然で、かつ意識的なことだっただろう。そんなバーンスタインにとって、ミュージカルの音楽を手がけることは全く抵抗のないことだった。クラシック音楽とポピュラー音楽との間にある垣根を取り払おうという挑戦。しかし、バーンスタインを始めとして、優れた才能が集結してミュージカル《キャンディード》は作成されたにも拘らず、この公演は失敗に終わる。観客数は伸び悩み、公演の打ち切りが決定。バーンスタインに支払われるはずだったギャラも半分になった。バーンスタインは強い敗北感を抱き、台本を担当したリリアン・ヘルマンは「私のキャリアから除外して欲しい」とまで言うようになる。なにが、ミュージカル《キャンディード》に起こったのか。

バーンスタインにヴォルテールの小説『カンディード』のミュージカル化を持ちかけたのは、劇作家リリアン・ヘルマンだったらしい。1904年、アメリカ合衆国のニューオリンズに生まれたリリアン・ヘルマンは優れた劇作家として知られていた。その作風は重厚でシリアスなもので、また、ヘルマンは固い意志を持った行動の人だった。1930年代にはスペイン内戦に赴き反フランコの義勇兵に協力している。その後、モスクワに滞在したこともあり、反ファシズムと共産主義への強いシンパシーを持つ人物だった。しかし、この共産主義へのシンパシーの部分が、冷戦というイデオロギー上の戦いを繰り広げるアメリカ合衆国の一部の人間にとっては、非常に不愉快なものに見えた。赤狩りの標的となるヘルマン。その怒りのはけ口をヘルマンはヴォルテールに見つける。『カンディード』の全編に渡って繰り広げられる風刺の数々は、ヘルマンの心情にぴったりと来るものがあったのだろう。ヘルマンがバーンスタインに『カンディード』のミュージカル化の話を持ちかけたのは1953年の秋頃らしい。既にブロードウェイといったショービジネス分野でも活躍していたバーンスタインは、ヘルマンとも顔見知りだった。一緒に仕事をしようという話をしていたらしいが、遂にその機会が訪れたと二人は感じたのだろう。

途中、映画『波止場』の音楽の作曲やスカラ座の指揮など、他の仕事による中断が幾度も入りつつも、バーンスタインはかなりのエネルギーを『カンディード』の舞台化に注いだ。主人公の名前がフランス語風から英語読みとなった《キャンディード》の音楽は、1956年の夏頃には大体完成していた。しかし、この頃、バースタインは自分が大きな思い違いをしていたことに気がついていた。ブロードウェイのショービジネスは、共同作業となる。作曲家が書いた音楽が中心となるオーケストラの演奏会に比べると、作曲家の主張がそのまま通る割合は少ない。一番の権限を持つのはプロデューサーだった。プロデューサーによってバーンスタインの音楽はカットされてどんどん形を変えていくのだが、バーンスタインでさえ、それに抗うことは不可能だった。そして、他のスタッフとの不調和。優れたスタッフが集まってはいたのだが、そのために、誰もが自らの主張を曲げないという場面が幾度も見られるようになった。特に台本担当のリリアン・ヘルマンは激しい気性の持ち主で知られ、「怒りの貯水池」というあだ名さえ持っている程の人間だった。また、ヘルマンの作風も軽く物語が進んでいく『カンディード』とは異なるものだった。ブロードウェイ専門の作詞家によって歌詞を付けられていく《キャンディード》は、徐々にヘルマンの意にそぐわないものとなっていく。予定された《キャンディード》の公演はブロードウェイのスターをそれほど得たものとはならなかった。良くも悪くも、ブロードウェイの評価は幾ら稼げたかが大きな指標となる。暗い予感を持ったまま、《キャンディード》の公演は近づいてくる。

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