第67 回演奏会 - 2022年7月24日(日) 13:30開演 会場:習志野文化ホール・指揮:金子 建志・演目:ムソルグスキー/交響詩「禿山の一夜」、ボロディン/「ダッタン人の踊り」、ブルックナー/交響曲第4番

リヒャルト・シュトラウス (1864~1949) 交響詩 〈死と変容〉

r-strauss-thumb〈死と変容〉という標題からは、晩年の作品と考えられがちだが、実は全く反対で、25歳(1889年)の時の作品である。表のように、一連の交響詩は初期に集中して書かれているため、シュトラウスの生涯は、1898年(34歳)以前の“交響詩の時代”と、それ以降の“歌劇の時代”の2つに、大きく分けることができる。ただし、それとても、表現主義的な作風が、その時点でがらりと変わったわけではなく、「音による表現に言葉が加えられただけ」と言えないこともない。

その分け方の是非はともかく、R・シュトラウスは1898年の交響詩〈英雄の生涯〉の英雄の業績の部分において、〈ティル〉〈ドン・ファン〉〈ドン・キホーテ〉と共にこの〈死と変容〉も回想し、交響詩作曲家としての自らの生涯に、ピリオドを打ってしまったのは事実だ。ちなみに、この“交響詩の時代”に作曲された歌劇は1894年(30歳)の〈グントラム〉のみ。〈英雄の生涯〉の3年後の1901年に〈火の試練〉が書かれた後、〈サロメ〉(05年)、〈エレクトラ〉(08年)、〈ばらの騎士〉(10年)、〈ナクソスのアリアドネ〉(12年)と20世紀を代表する傑作が次々と生み出され、オペラ界を席巻することになるのだ。

1886 (22歳) 交響的幻想曲<イタリアより>
88 (24歳) 交響詩<ドン・ファン>
89 (25歳)  〃 <死と変容>
90 (26歳)  〃 <マクベス>
95 (31歳)  〃 <ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら>
96 (32歳)  〃 <ツァラトゥストラはかく語りき>
97 (33歳)  〃 <ドン・キホーテ>
98 (34歳)  〃 <英雄の生涯>
1903 (39歳) <家庭交響曲>
15 (51歳) <アルプス交響曲>
45 (81歳) <メタモルフォーゼン>

言わば紀元前にあたる“交響詩の時代”の中でも、この〈死と変容〉は最も初期のものに属し、それ以前に作曲された同系列の作品としては、〈イタリアより〉と〈ドン・ファン〉を数えるのみである。

ここではドイツ語のVerklärungを「変容」と訳してあるが、これはもともと、十字架にかけられたキリストの相貌が死に臨んで激変し、安らかな表情に変わったことを意味する言葉で、「光明で満たすこと」「浄化」といった訳にもなる。

シュトラウスには同様に“死”を扱った作として最晩年の1945年(81歳)に作曲された〈メタモルフォーゼン〉がある。弦楽合奏による交響詩と言っても良いこのMetamorphosenも意味としては「変容」なので、2つの作品を区別するために、〈死と変容〉を〈死と浄化〉とし、〈メタモルフォーゼン〉に〈変容〉という訳を充てて区別するやりかたもあるが、筆者は曲の内容から〈死と変容〉と〈メタモルフォーゼン〉とするのが、一番しっくりするので、今回はそれを使わせて頂いた。

同じく“死”を扱った作品であっても〈メタモルフォーゼン〉は背景が全く異なる。第二次大戦の末期のドレスデン、ベルリン、ウィーン等の主要都市が空爆を受け、R.シュトラウスの栄光を支えてきた歌劇場も街ごと灰塵に帰した。ガルミッシュの山荘にいた老作曲家にとって、それはドイツの文化と歴史が抹殺されたに等しかった。そこに80歳を越えて、否応なしに死と向き合わざるをえない心境の告白が重なりあったため、“死”を現実のものとして予感している人間の心の動きが、極めてリアルに表現されることになった。一方、この若書きの〈死と変容〉では、凡てが朽ち果てるという切実な実感の代わりに、幻想的なロマンとしての“死”が描かれているのである。

スコアには、アレクサンダー・リッターの詩が掲げられているのだが、この詩との関係は一般的な交響詩とはかなり異なる。リッター(1833~96年)はマイニンゲン宮廷楽団の第1ヴァイオリン奏者で詩心があった。若くして驚くべき才能の作曲家・指揮者として注目されていた21歳の青年R.シュトラウスが大指揮者ビューローの代理指揮者としてマイニンゲンに行った際に、31歳年上のリッターと知り合ったようで、以後、信頼のおける先輩として相談を仰ぐような仲となった。二人の信頼関係は〈死と変容〉の翌年に作曲した〈マクベス〉をリッターに献呈したことからも明らかだ。

R.シュトラウスは、自ら“死の床に伏した芸術家が、昏睡状態の中で病魔と戦っている。一旦は小康状態となり、子供の頃や青春期の楽しい回想もよぎるが、再び臨終の発作が襲い、遂にこと切れる。その魂は、達成されなかった理念を死後の世界で完成すべく、肉体から去っていく”という構想に基づき、交響詩を書き上げた。“死”をテーマにすることで“生”とは何かを問いかける、というのは、ロマン派の流行みたいなもので、直接的には交響詩の創始者リストの交響詩〈レ・プレリュード〉(“生”は“死”の前奏曲に過ぎないというのが標題の意味)を継承した内容になっている訳だが、R.シュトラウスは90年6月21日にアイゼナッハで自らの指揮で初演した際、その内容をリッターに詩にしてもらって配布した。ワイマールでの再演も同様だったのだが、実演を聴いたリッターは詩を大幅に改訂・拡大し決定稿とした。お聴きになればお分かりのように、R.シュトラウスのスコアは非常に具体的かつ時系列的に書かれているので、詩が大まかだったりすると、むしろ曲についていけないことになりかねない。それでリッターは改訂したのだろう。現在は改訂稿=決定稿が印刷されている。

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