サン=サーンス (1835~1921) 交響曲第3番 《オルガン付き》 の楽曲解説

 

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サン=サーンスは交響詩〈死の舞踏〉(1874年)で、既に「ディエス・イレ」を死神の象徴として引用している。手法は〈幻想交響曲〉(1830年)やリストの〈死の舞踏〉(1865年)と同じく、原曲どおり短調のまま張り付ける伝統的なコラージュだったが、「夜明けが知らされると骸骨達は、墓場に戻って行く」という詩に沿って、「暗→明」の図式は暗示的に示されていた。

更に重要なのが、〈3番〉が完成期に入った86年に委嘱されて速筆で完成し、同年3月9日に私的初演された〈動物の謝肉祭〉だ。そこでは当時の人気曲が様々な形にデフォルメ。オッフェンバックの〈地獄のオルフェウス〉のカンカンは、倍以上遅いテンポで《亀》として、ベルリオーズの〈ファウストのごう罰〉の《妖精のワルツ》と、メンデルスゾーンの〈真夏の夜の夢〉のスケルツォも軽快な原曲からコントラバスの弾く鈍重な《象》として引用されている。原曲のまま使えば剽窃として非難されるし、崩し過ぎると引用としては意味を成さなくなるが、〈謝肉祭〉に於ける匙加減は絶妙で、死後の1922年に公開初演された後、コラージュ音楽の傑作として広く認知されたのは、御承知のとおりだ。

〈3番〉では〈ディエス・イレ〉が全曲を統一する循環主題として使われているのだが、その顔となる最初の引用部①cは前述のように、〈未完成〉に酷似している。〈未完成〉は、65年12月17日の初演後、夭逝したシューベルトの残した傑作として話題を呼び、67年には初版が出版されたので、サン=サーンスが交響曲の委嘱を受けた80年には極めて旬な作品だった。筆者は、話題性に目をつけたからではなく、シューベルトが〈ディエス・イレ〉を象徴的に引用していることに逸早く気付いたサン=サーンスが、その手法を継承・発展させたのだと見ている。

サン=サーンスは、短調の「ディエス・イレ」をフィナーレで長調にすることで、宗教的な救済を意味する記号として進化させた。これに遅れること2年、マーラーが同様の「短調→長調」というヴェクトルを復活の象徴として使ったのは、プレトークの際に述べたとおりである。

外的な特徴としては、交響曲にオルガンを採り入れたことが最も目立つ新機軸だが、地味な改革として「楽章」を大きく纏める「部」的な区分を持ち込んだことも重要。構造的な先例は、前半2楽章と、後半2楽章を共通主題で括ることで、二部構成になっているシューマンの〈4番〉。サン=サーンスは、それをローマ数字で「Ⅰ」と「Ⅱ」に区分したのだが、それを「楽章」と表記すると、実体から離れてしまうので、以下の分析は、マーラーを先取りした「部」と、下部構造の「楽章」とした。

第Ⅰ部 第1楽章(アレグロ)・第2楽章(アダージョ)
第Ⅱ部 第3楽章(スケルツォ)・第4楽章(フィナーレ)

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