セルゲイ・プロコフィエフ (1891~1953)  交響曲第6番 変ホ短調 作品111

prokofiev-gravestone-thumb苛烈な戦いが繰り広げられていたロシア。プロコフィエフは映画監督エイゼンシュテインと共に、モスクワから遠く離れた中央アジアのカザフスタン共和国の首都、アルマ・アタ(現在のアルマトイ)にいた。戦火を避けての疎開である。そしてこの地で、エイゼンシュテインが撮影を進める《イワン雷帝》の音楽を作曲する。ロシア革命を避けて出国したプロコフィエフが、ソ連に「帰国」してからおおよそ10年が経つ頃のことだ。

この頃、プロコフィエフは傑作を次々に送り出していた。《ロミオとジュリエット》(1935~36)、《アレクサンデル・ネフスキー》(1938~39)、「戦争ソナタ」三部作(1939~44)、《シンデレラ》(1940~44)等々。そして翌年の1944年、プロコフィエフは戦況の好転によりモスクワに戻り、交響曲第5番を作曲する。翌年に作曲家自らの指揮で行われた初演は大絶賛をもって受け入れられた。そして、戦争が終わりプロコフィエフは新しい交響曲の作曲を始める。6番目の交響曲であった。その交響曲は1947年に完成する。作品番号111。その作品番号は、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタに付けられたのと同じ番号であった。

プロコフィエフの八つの交響曲

大絶賛で迎えられた前作の交響曲第5番と違って、交響曲第6番は幾ばくかの当惑を持って迎えられた。プロコフィエフの作曲家仲間からも、一度聞いただけでは理解が出来なかった、というような声が出るほどであった。そしてその当惑は、現在に至るまで続いているようである。この交響曲第5番は、前作の交響曲第5番に比べると遥かに演奏頻度が低い。一体何が、この交響曲にはあるのだろうか。

この交響曲第6番の後、プロコフィエフは二つの交響曲を作曲している。この八つの交響曲の変遷を眺めると、プロコフィエフにとって交響曲とはなんであったかが、朧げながら姿を現してくる。ここで、プロコフィエフの八つの交響曲をざっと俯瞰してみることとしよう。

まず、最初の交響曲。これは作曲者自らによって、《古典交響曲》と名付けられた(1916~17)。これは、当時のモダニズム音楽を積極的に取り入れていたプロコフィエフが、一転、ハイドンのような「古典的明晰さ」を目指して作曲したもの。もちろん、ハイドンの時代そのものではなく、プロコフィエフ流の味付けが随所に施されたスタイルではあったが、目指した「古典的明晰さ」は実現できていると言って良いだろう。次に、交響曲第2番(1924~25)。パリ時代に作曲されたこの作品は、しばしば「問題作」とも称される。楽章は二つ。大音量で不協和音が鳴り響く第1楽章。第2楽章は変奏曲形式。この交響曲の構成は、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタであるピアノ・ソナタ第32番(1821~22)のそれを模したもの。ストラヴィンスキーの《春の祭典》(1911~13)を意識した自信作であったが、パリの聴衆の反応は冷淡なものであった。プロコフィエフは深い失望を感じることとなる。続く交響曲第3番(1928)はオペラ《炎の天使》(1919~27)の素材を使って、そして交響曲第4番初版(1930)はバレエ音楽《放蕩息子》(1928)の素材を使って作曲された。

さて、ここまでで見えることは何か。まず言えることは、プロコフィエフはベートーヴェン以来の交響曲の伝統に沿うことなく、交響曲の作曲を行っているということである。ベートーヴェンは、それまでの単なる器楽合奏曲でしかなかった交響曲を、その作曲家の芸術観や理念、そして人類愛といったものまでを感じさせる音楽へと変貌させた。さらに、善と悪、明と暗といった対立する要素による弁証法的な物語の構築。交響曲第5番《運命》(1807~08)によって打ち立てた、苦悩を経て歓喜へ、というドラマ性。

ベートーヴェンがあまりにも立派な手本を打ちたてた為に、ベートーヴェン以降の作曲家は交響曲を作曲するのに非常に苦労することとなるのだが、プロコフィエフのここまでの四つの交響曲は、ベートーヴェンの打ちたてたそのスタイルに沿ったものではない。交響曲第3番と第4番も、形式こそは古典的な交響曲の姿を何とか保っているが、素材を交響曲の形に継ぎはぎしたようなもので、そこにベートーヴェン的な理念を垣間見ることは出来ない。

それは作曲家のスタンスの話であって優劣とかそういうものとはまったく無縁の話なのだが、プロコフィエフは交響曲を作曲するにあたり、ベートーヴェンの交響曲は意識しなかった。理念とかそういったものに興味がなかったのだろう。そんなプロコフィエフに交響曲第5番で変化が訪れる。第二次世界大戦、ドイツとの凄惨な戦いに訪れた光明、勝利の予感。その高揚した気分の中で作曲されたこの交響曲は大絶賛を浴びる。ベートーヴェンが交響曲で目指したものの一つに、理想を追い求め戦う人々の傍に寄り添う、ということがあるが、プロコフィエフの交響曲第5番は、戦勝に喜ぶ人々の気分に非常に沿ったものだった。

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