セルゲイ・プロコフィエフ (1891~1953)  交響曲第6番 変ホ短調 作品111

第一楽章  アレグロ・モデラート  変ホ短調  6/8拍子

序奏から、不思議な雰囲気。短い序奏の後に、ヴァイオリンが滑らかなメロディーを歌う②。第一主題。そのメロディーは弱音器が付けられ、何処かくぐもった音質で歌われ、それとなく現実離れしたものを感じさせる。続く第二主題③。寒々とした、荒涼とした風景。そして第三主題は、ファゴットとピアノのメカニカルな行進の上で、コールアングレとヴィオラが切々と歌い上げる④。

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テンポが速くなり展開部に突入。第一主題が目まぐるしく変容していき、金管楽器が絶叫し打楽器が炸裂していくうちに、呻き声のようなホルンに行き着く。ホルンの音量が弱くなったり強くなったりという波を見せながら、音楽は暗い闇の底へ沈み込んでいく。ここは非常に印象的な箇所であり、作曲当時、大怪我を負って身体の不調を抱えていたプロコフィエフの身体的な不調がそのまま音になったかのような印象も抱かせる。耳鳴りか、それとももっと深刻なものか。音楽は平穏を取り戻し、再び聞こえてくる第二主題。そしてメカニカルな行進の上に乗った第三主題も再現され、ここで第一主題が登場、終結部に。ピアノの低音とコントラバスのピッチカートが、序奏とはまた異なる不思議な謎めいた雰囲気を漂わせながら、この楽章を静かに締め括る。

第二楽章  ラルゴ  変イ長調  4/4拍子

3楽章制を採ることにより中心楽章に据えられた第二楽章は、疑いなく全曲の白眉となる。冒頭、地鳴りのような低音に導かれて、木管とホルンの高音が強烈な不協和音となって鳴り響く。

プロコフィエフがこの交響曲第6番において明と暗といった対立を曖昧にしていると先に書いたが、ではそれは何によってもたらされているのか。一つ目の鍵は終結部にあった。もう一つの鍵は、和声にある。長三和音(長調)=明、短三和音(短調)=暗、といったイメージを最大限に利用して音楽にドラマ性をもたらしたのがベートーヴェンであった。短調に始まり長調に終わる交響曲第5番《運命》は、強烈なドラマ性を聞く人々に感じさせる。これ以降、クラシック音楽は長調と短調によるイメージを利用し尽くす方向性で展開していくのだが、プロコフィエフは聞いた人が明るいとも暗いとも簡単にイメージ出来ない響きを駆使し、音楽を作り上げていく。第二楽章の冒頭で鳴り響く不協和音は、聞く人による単純なイメージ付けを拒否している。プロコフィエフがこの不協和音に込めたものは、美か、それとも他の何かなのだろうか。

不協和音による鮮烈な序奏の後、トランペットと第一ヴァイオリンによって第一主題が歌われるが、目まぐるしい転調によって気分は絶えず変わっていき、その性格を推し量ることは難しい⑤。しかし確かなことは、この第一主題と続く第二主題と、この楽章全体が強い歌謡性を持っていることだ。歌に満ち溢れているのである。ファゴットとチェロによって朗々と歌われる第二主題⑥。展開部ではハープとチェレスタによる神秘的な響きも聞こえてくる。そして終結部において、再びまた冒頭の不協和音が。一旦盛り上がるが音楽はすぐに収斂していき、チェレスタの神秘的な響き残しつつ、音楽は静かに消え去っていく。

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第三楽章  ヴィヴァーチェ  変ホ長調  4/4拍子

それまでの楽章とは一転、明るく快活な音楽。きびきびとした軽快な第一主題⑦と合いの手を打つかのような低音のリズム⑧。それとは対象的にどこか悠然とした第二主題⑨。しかし、音楽は突然道に迷い込んだかのように生気を失っていく。そして、再び聞こえてくる第一楽章の第二主題。あの、寒々しい荒涼とした音楽。悲劇を忘れることは出来ないのか。そして悲痛な叫び、二度の絶叫。それが静まった後、第三楽章冒頭の快活なリズムが戻ってくるが、どこか調子が違う。どことなく焦りを感じさせるそのリズムは瞬く間に変容し、圧迫感を感じさせる重々しい響きの中、印象的に打ち付けられる打楽器の響きを背に唐突に全曲は終わる。

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プロコフィエフはスターリンと同じ日に死んだ。計画されていた交響曲第2番の改訂は、実現されることなく終わる。もしそれが完成していたら、実質的にそれはプロコフィエフの9番目の交響曲となる筈であった。そこでプロコフィエフは一体どんな音楽を繰り広げようとしていたのだろうか。残念ながら、それを聞くことは私たちには出来ない。しかし、尽きぬ謎と魅力が、残されたものの中には詰まっている。

《ロミオとジュリエット》のようなポピュラーな作品とは全く異なる容貌を見せる交響曲第6番。プロコフィエフは本心をなかなか明かすことがなかった人であったという。謎めいた作曲家の、謎めいた交響曲。しかし、プロコフィエフが音楽に込めようとしたものが、ここには確かに込められている。

(中田麗奈)

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