R.シュトラウス バレエ〈泡立ちクリーム〉 作品70(台本:R.シュトラウス)

後記

カオス以降は、それまでのメルヘン的世界から一変。雷鳴器を頂点とする騒乱は、音響的にも寓話の範疇を越えている。その落差は、第1次大戦でヨーロッパが被った未曾有の破壊を、暗に臭わしているのではあるまいか。軍楽が軍靴として拡大してゆくあたりは、後に書かれることになるショスタコーヴィチの〈レニングラード〉交響曲の第1楽章を先取りしているようにも思える。

フランス女性マリアンヌをめぐる東欧系のスリヴォーヴィッツと、ロシアのヴトキーの鞘当ても象徴的。騒乱を先導するのが『東洋風の魔法使い達』というのも意味深だ。デモもその鎮圧も、この時代以降、更に過激化していった。暗喩的な発言は残されていないようだが、台本作者でもあるR.シュトラウスは果して何を意図していたのだろうか?

今回前半で演奏する〈くるみ割り人形〉の組曲には含まれていないが、第Ⅰ幕の後半では、ねずみの王が率いる軍隊と、くるみ割り人形が指揮する兵隊達が戦闘を開始。くるみ割り軍が劣勢になったのを見かねた主人公の少女クララがスリッパを投げつけてねずみの王を倒し、くるみ割り軍の勝利に終わる。

この劇中劇的なエピソードでは、銃声を始めとしてそれなりの戦闘の描写はあるが、あくまでも玩具箱の中の出来事という描き方だ。もし、チャイコフスキーが第1次大戦の後まで生きて同じ〈くるみ割り人形〉を作曲したなら、この戦闘場面はかなり違った曲になったに違いない。

組曲の多くは、第Ⅱ幕の祝勝的な舞踏会で踊られる曲。様々なお菓子や民族が登場するのは〈泡立ちクリーム〉と同じだが、〈くるみ割り人形〉が、爛熟した貴族文化の範疇に留まっているのに対し、〈泡立ちクリーム〉は直前の戦禍の後、新しい社会を模索せざるをえなくなった時代を映し出している。ケーキを食べすぎた子供の夢の中では、行進曲や進軍ラッパが次第に優勢になり、戦争の恐怖が膨らんでゆく。

この後ヒトラーが台頭し、日本やソ連を巻き込んだ惨劇に突入してゆくことを知っているだけに、最後のハッピー・エンドを、楽天的な「デウス・エクス・マキーナ」とは思えないのだ。今回、振ってみて、そのことを実感した。

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