失われたユートピアを求めて
20世紀を代表する哲学者・社会学者であるテオドール・アドルノは、また同時に、ベルクに師事して作曲を行うなど、音楽に対しての深い造詣を持っていた人物だった。そのアドルノが1960年に発表した著書『マーラー 音楽観想学』は、難解な内容にも関わらず、折からの「マーラー・ルネサンス」の中で大きな影響を持った書物となった。その中でアドルノはマーラーの音楽に対し、このように述べている箇所がある。
演奏会プログラムの曲目解説からの抜粋です。
20世紀を代表する哲学者・社会学者であるテオドール・アドルノは、また同時に、ベルクに師事して作曲を行うなど、音楽に対しての深い造詣を持っていた人物だった。そのアドルノが1960年に発表した著書『マーラー 音楽観想学』は、難解な内容にも関わらず、折からの「マーラー・ルネサンス」の中で大きな影響を持った書物となった。その中でアドルノはマーラーの音楽に対し、このように述べている箇所がある。
モーツァルトがマンハイムを訪れた際に書いた手紙に、当時、最高のオーケストラだった同地の宮廷楽団の規模の大きさと充実ぶりを絶賛した文章が見られるのだが、その中に「第1ヴァイオリンが左(下手)、第2 Vn.が右」という配置に関しての記述がある。このヴァイオリンを指揮者の両翼に向かい合う形で置く対向配置は、その後も各地で、ほぼ基本的なフォーマットとして継承されてきた。
20世紀初頭の西欧音楽界で、時代を切り拓いていったのがディアギレフ率いるロシア・バレエ団。その中核となったのが、まだ無名だったストラヴィンスキーによる〈火の鳥〉〈ペトルーシュカ〉〈春の祭典〉。この3大バレエは、その質においても、破壊的なエネルギーと影響力の凄まじさにおいても、19世紀後半にワーグナーが〈トリスタンとイゾルデ〉で成し遂げたのに比肩すべき核爆弾的な役割を果たしたのであった。
チャイコフスキーの交響曲は〈4番〉以降の3曲の人気が高く、CD等でも〈4・5・6番〉を纏めて「3大交響曲」として売られていることが多い。これは演奏する側の事情と繋がっているわけで、〈3番〉より前の3曲を、〈4番〉以降と変わらないくらい積極的に振ろうという指揮者は激減してしまう。それに準じる多楽章形式の管弦楽曲として『組曲』を4曲残しているが、番外的な標題付き交響曲〈マンフレッド〉同様、その演奏頻度は更に少ない。唯一の例外は弦楽のための〈セレナード〉で、これは“弦楽合奏のための交響曲”といっても差し支えないほど充実した内容を備えているせいもあって人気が高く、《ワルツ》は単独でもBGM的に演奏されることが多い。
コーカサスとはカスピ海と黒海とに挟まれた地域一帯のことを指す。コーカサスは英語読みであり、19世紀以降この地域を版図に納めたロシアの呼び名ではカフカースとなる。イッポリトフ=イワーノフはロシア人であり、それを考えると特に英語の呼び名を使う必要もないので、曲名も《カフカースの風景》とした方が良いのかもしれないが、この曲の原題はフランス語で表記されており、フランス語でのカフカースの表記は英語と同じく ’caucasus’ である。恐らく、この曲が《コーカサスの風景》と呼ばれるのもそれが関係しているのであろうか。今回は通例に従って曲名は《コーカサスの風景》とした。
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ、57歳の時の作品。1963年作曲。ショスタコーヴィチは1975年に死去するので、既に晩年に入りかけた頃の作品であるといえる。その作曲家としてのキャリアにおいて、幾度と無く政治からの圧力を受け続け何度も苦汁を飲んだショスタコーヴィチであったが、この頃になると社会も一応の安定を見せたこともあり、西側にまで名声が届く大作曲家としての地位が確立し、生活もやっと平穏なものとなった。